2009年03月28日
平和の祈り
先日初めて広島へ出張の機会がありました。
先方とのアポに少しばかり時間があったので、急いでタクシーに飛び乗り、原爆平和公園にお参りに行きました。
近くで見る「原爆ドーム」はテレビでは夏空に聳え立つイメージでしたが、意外や意外、小さいものでした。
それでも崩落した建物の残骸やねじれた鉄骨などを見ると、あの日の凄惨を思わずにはおられませんでした。
あの原爆ドームは、外国人によって設計されたもので、半無筋のレンガ造りになっており、内部の窓枠や天井面との境目である廻り縁などは、洋風の装飾が成されていた跡が残されていました。きっと往時は美しい近代建築の象徴だったのでしょう。
私は時計を気にしながらも、平和の火に向かって合掌し、そして資料館へ。
直視するのははばかられる当時の写真や遺品、残骸などが所狭しと展示してありました。
この子たちも生まれたくてあの時代の広島に生まれて来た訳ではなかったろうにと、それを思うと涙が止まりませんでした。
年を取るとこんな私でも涙もろくなるんです。平和な世の中に生んでくれた両親にも感謝しました。
資料館には、米国や旧連合国からの来館者も多く来ていましたが、彼らの胸に去来したものは何だったのでしょうか。それでも、大やけどを負った子供の写真の前では、「GOD・・・」と低い声で唸り、首を横に振っていました。
わざわざ海外から、手を合わせに来ている彼らを恨むつもりはありませんが、今の時代になっても、あのリトルボーイ投下を正当化しようとする「米国の何でも自分たちだけが正義、それが強いアメリカ」という根性は気に入りません。
また、米国のご機嫌を伺いながら何も言えない日本政府も不甲斐ないものです。
米国の議会でも東京裁判や南京、慰安婦問題を云々言う前に、自分たちは同じ時代に何をしたかの歴史的事実をよく心に刻むべきです。
講和条約一つで、周到に計画された実験的無差別虐殺までもチャラと言うわけには行かないと思うのです。
それよりも何よりも、ルーズベルト大統領に署名入りの手紙まで書いて、この原爆開発の火付け役になったのが、相対性理論で有名なアルバート・アインシュタイン博士だったのには、驚きでした。
もっとも、博士はユダヤ人でナチスを倒すためアメリカに渡り、そのナチス攻撃のための原爆製造マンハッタン計画に参加したのであって、それが広島や長崎に投下されることは知る由もなかったでしょうけど。
莫大な開発費をかけて、ようやく開発した原爆を投下しようと思っていた相手が降伏し、何としても人体実験の新たな場所が必要だったのでしょう。そして投下国は急遽ドイツから日本に変更されたのです。
後にこれを知った博士は、核廃絶を叫び、核の平和利用と平和運動に傾倒していったとあります。
とにもかくにも平和が一番。
その平和と言ってる尻から、この世界初めての被爆国の上空を通過させて、テポドンを打ち上げると言う北朝鮮は、あまりに日本の国民感情を逆撫でしています。
そんなもんぶっぱらして、もしものことがあったらどうなるか、北朝鮮首脳に原爆資料館を1日貸切にして見せたいものです。
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頭金ゼロ、ボーナス払いゼロ、月々家賃並みの返済で、20代からの土地付き一戸建てマイホーム。山形県内の山形市、天童市、東根市、寒河江市で、夢実現のお手伝い。バリュー・クリエーションです。
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Posted by バリューの親方 at
11:00