2010年09月23日
奇遇
竹久夢二の唯一人のお孫さんである竹久みなみさんとは、酒田相馬樓の夢二美術館開館をお手伝いして以来、息子のようにして接していただいています。
先日、都内に出張で出かけている折、仕事先が神田でしたので、御茶ノ水の聖橋から坂を下りていきました。丁度見上げると、ニコライ聖堂が悠久の時を越えてたたずんでいました。
夢二とその想われ人、日本橋の紙問屋の箱入り娘、笠井彦乃が不倫と知りながら逢引を重ねた場所でした。
そんな事に思いを馳せながら、どんどん坂を下って信号待ちしていると、ビルとビルの間にポツンと建てられた石碑を見つけました。
よく見ると関東大震災の慰霊碑のようでした。そこには大正12年9月1日と記されていました。今を去ること87年前の9月です。
その時に生まれた人が87歳ですから、当時10歳でも97歳です。長寿時代ですから、震災をそのまま体験した方々で御存命の方も多いことでしょう。
時も時、竹久みなみさんから電話です。聞けば、目白で夢二の震災時のスケッチ展をしているから、時間があったら見に来てというものでした。ヒャ~、なんと言う偶然・・・・。
翌日、仕事を早めに切り上げて、目白へ伺いました。
夢二はもともと有名になる前は、新聞社のイラストレーター(コマ絵画家)兼ライター(記者)でした。彼は詩人を目指しており、それを絵で表現することを最終目標としていましたから、ある意味ではまり役です。
その彼が、震災直後の町を歩き、それをスケッチして記事を書いたものが、当時の新聞に掲載されたのでした。これを集めて展示会をしていたというわけです。
久しぶりの再会もそこそこに、紹介された品のある老婦人。笠井ですとおっしゃいました。笠井彦乃の妹と聞き、またまた驚きです。
彦乃は、女子美に通う画学生だったころ、当時は超有名画家だった夢二に出会い、京都に駆け落ちします。
夢二の写真には、京都の下宿で絵に励む彦乃の写真があります。聞くところによれば、夢二よりも画才は上だったと聞きましたが、描いた絵は見たことがありませんでした。
そして、彦乃の妹と言う老婦人が取り出したのは、女性が近代日本画で描かれた2枚の絵葉書でした。そこには「彦乃」とサインがされていました。上手い!!
「あじさいの女」と題された一枚は、夢二特有の病的な細さはないまでも、夢二の美人画に相通じるものがあります。ことに手の組み方やポーズ、どこか影を引きずる暗さなどはそっくりです。
そして、「御殿女中」という一枚を見て驚きました。生前の彦乃に生き写しです。もしかしたら自画像だったのかもしれませんね。
実は密かに私は、笠井彦乃に憧れていました。短命でありながら運命に翻弄され、子持ちのオトコにのめり込んでいく老舗の箱入り娘・・・。何かドラマに出てきそうな悲劇のヒロインでしょ・・・。
あまりにでき過ぎているストーリーだと思っていましたが、彦乃という女性がすごく身近に感じました。
いやはや不思議な出会いが続くものですね、人生というのは。
ニコライ聖堂
関東大震災の慰霊碑?
座っておられるのが彦乃の妹さん、右側が竹久みなみさん。
画題:あじさいの女
画題:御殿女中
< P R >
頭金ゼロ、ボーナス払いゼロ、月々家賃並みの返済で、20代からの土地付き一戸建てマイホーム。山形県内の山形市、天童市、東根市、寒河江市で、夢実現のお手伝い。バリュー・クリエーションです。
先日、都内に出張で出かけている折、仕事先が神田でしたので、御茶ノ水の聖橋から坂を下りていきました。丁度見上げると、ニコライ聖堂が悠久の時を越えてたたずんでいました。
夢二とその想われ人、日本橋の紙問屋の箱入り娘、笠井彦乃が不倫と知りながら逢引を重ねた場所でした。
そんな事に思いを馳せながら、どんどん坂を下って信号待ちしていると、ビルとビルの間にポツンと建てられた石碑を見つけました。
よく見ると関東大震災の慰霊碑のようでした。そこには大正12年9月1日と記されていました。今を去ること87年前の9月です。
その時に生まれた人が87歳ですから、当時10歳でも97歳です。長寿時代ですから、震災をそのまま体験した方々で御存命の方も多いことでしょう。
時も時、竹久みなみさんから電話です。聞けば、目白で夢二の震災時のスケッチ展をしているから、時間があったら見に来てというものでした。ヒャ~、なんと言う偶然・・・・。
翌日、仕事を早めに切り上げて、目白へ伺いました。
夢二はもともと有名になる前は、新聞社のイラストレーター(コマ絵画家)兼ライター(記者)でした。彼は詩人を目指しており、それを絵で表現することを最終目標としていましたから、ある意味ではまり役です。
その彼が、震災直後の町を歩き、それをスケッチして記事を書いたものが、当時の新聞に掲載されたのでした。これを集めて展示会をしていたというわけです。
久しぶりの再会もそこそこに、紹介された品のある老婦人。笠井ですとおっしゃいました。笠井彦乃の妹と聞き、またまた驚きです。
彦乃は、女子美に通う画学生だったころ、当時は超有名画家だった夢二に出会い、京都に駆け落ちします。
夢二の写真には、京都の下宿で絵に励む彦乃の写真があります。聞くところによれば、夢二よりも画才は上だったと聞きましたが、描いた絵は見たことがありませんでした。
そして、彦乃の妹と言う老婦人が取り出したのは、女性が近代日本画で描かれた2枚の絵葉書でした。そこには「彦乃」とサインがされていました。上手い!!
「あじさいの女」と題された一枚は、夢二特有の病的な細さはないまでも、夢二の美人画に相通じるものがあります。ことに手の組み方やポーズ、どこか影を引きずる暗さなどはそっくりです。
そして、「御殿女中」という一枚を見て驚きました。生前の彦乃に生き写しです。もしかしたら自画像だったのかもしれませんね。
実は密かに私は、笠井彦乃に憧れていました。短命でありながら運命に翻弄され、子持ちのオトコにのめり込んでいく老舗の箱入り娘・・・。何かドラマに出てきそうな悲劇のヒロインでしょ・・・。
あまりにでき過ぎているストーリーだと思っていましたが、彦乃という女性がすごく身近に感じました。
いやはや不思議な出会いが続くものですね、人生というのは。
ニコライ聖堂
関東大震災の慰霊碑?
座っておられるのが彦乃の妹さん、右側が竹久みなみさん。
画題:あじさいの女
画題:御殿女中
< P R >
頭金ゼロ、ボーナス払いゼロ、月々家賃並みの返済で、20代からの土地付き一戸建てマイホーム。山形県内の山形市、天童市、東根市、寒河江市で、夢実現のお手伝い。バリュー・クリエーションです。
Posted by バリューの親方 at
18:36