2010年11月27日
評
ツイッターは短文ブログのように言われ、その140文字に効果的に「つぶやき」を纏めることが上策とされています。「つぶやき」とは言え、商売ベースでつぶやいている方々は、見えないように主義主張が混入しますから、140文字の中に起承転結と効果的な一言を入れ込まなければなりません。
また、言葉足らずの「つぶやき」はいらぬ誤解を招き、それが負のスパイラルに巻き込まれて、取り返しのつかない事態にも発展しかねません。短文の表現と読んだ人の解釈だけが勝負と言うわけです。
日本には昔から、この短文に命を吹き込む粋な文芸があります。
575や57577に代表される俳句や短歌です。これらは140文字よりずっと少ない17文字や31文字です。
ツイッターに比べたら随分少ない文字数です。この中に心情や光景を読み込まねばなりません。作る方も頭をひねりますが、その頭をひねって読まれた作品を評する方はもっと大変でしょう。作者自身ではないわけですから。
若いのに短歌をやっている知人がおります。
久々にいいのができたので、雑誌だか新聞に投稿したのだそうです。そしたらそれが掲載され、ちゃんと「評」も掲載されていたそうな。
その「評」を見て同君はがっかりしたのだそうです。氷雨に打たれ、軒先で雨宿りする鳥を、わが身に置き換えて詠んだそうなのですが、「評」は肝心の作者の心情などお構いなしに、まったく別のことを評してあり、それが優れているということで、掲載されたのだそうです。
同君も、作品が選ばれたとは言え、大層複雑な気持ちだったに違いありません。
ただ、以前R社の元上司で、今は香川で歌人として活躍しておられる藤田豊さんから面白いお話をうかがいました。
「歌は作り手の心情を織り込んだ作品であると同時に、読み手からすれば、自分の心情を解釈する媒介でもある。
だから、読み手の解釈が作者の心情と異なって当然。歌とはそういうものだし、読み手が変わっても全て同じ解釈ができる歌など逆に単純すぎてつまらないのではないか。100人の読み手がいれば、100通りの解釈があるのが短歌や俳句だよ。ボクは師匠に、いつも深読みし過ぎだと言われるけどね」とのことでした。
それを友人に伝えると妙に納得していました。
ただ、古典や現代国語で和歌や短歌、俳句が教材として取り上げられるときに、あたかもこれが唯一正解のように解釈や評が載っており、試験にすらこれが出題されたりします。
確かに理系の数学などでは答えが一つとなるのでしょうが、これでは国語の答えも一つになってしまいます。
国語の試験だけでも「次の短歌や俳句に詠まれた作者の心情で、最も適切なものはどれか」ではなく「次の短歌や俳句を140文字以内で自由に評せ」という試験があるべきのような気がしますね。
< P R >
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ツイッターに比べたら随分少ない文字数です。この中に心情や光景を読み込まねばなりません。作る方も頭をひねりますが、その頭をひねって読まれた作品を評する方はもっと大変でしょう。作者自身ではないわけですから。
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久々にいいのができたので、雑誌だか新聞に投稿したのだそうです。そしたらそれが掲載され、ちゃんと「評」も掲載されていたそうな。
その「評」を見て同君はがっかりしたのだそうです。氷雨に打たれ、軒先で雨宿りする鳥を、わが身に置き換えて詠んだそうなのですが、「評」は肝心の作者の心情などお構いなしに、まったく別のことを評してあり、それが優れているということで、掲載されたのだそうです。
同君も、作品が選ばれたとは言え、大層複雑な気持ちだったに違いありません。
ただ、以前R社の元上司で、今は香川で歌人として活躍しておられる藤田豊さんから面白いお話をうかがいました。
「歌は作り手の心情を織り込んだ作品であると同時に、読み手からすれば、自分の心情を解釈する媒介でもある。
だから、読み手の解釈が作者の心情と異なって当然。歌とはそういうものだし、読み手が変わっても全て同じ解釈ができる歌など逆に単純すぎてつまらないのではないか。100人の読み手がいれば、100通りの解釈があるのが短歌や俳句だよ。ボクは師匠に、いつも深読みし過ぎだと言われるけどね」とのことでした。
それを友人に伝えると妙に納得していました。
ただ、古典や現代国語で和歌や短歌、俳句が教材として取り上げられるときに、あたかもこれが唯一正解のように解釈や評が載っており、試験にすらこれが出題されたりします。
確かに理系の数学などでは答えが一つとなるのでしょうが、これでは国語の答えも一つになってしまいます。
国語の試験だけでも「次の短歌や俳句に詠まれた作者の心情で、最も適切なものはどれか」ではなく「次の短歌や俳句を140文字以内で自由に評せ」という試験があるべきのような気がしますね。
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Posted by バリューの親方 at
01:20