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バリューの親方
バリューの親方
私は天童に住んでいますが、出身は酒田です。
で、どんなオヤジだかと言うと・・・・
こんなオヤジなんです。詳しくは、http://www.value-c.jp/outline.html

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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2011年03月31日

超ウルトラCの英断

 私どもも住宅の商売をしていると言うこともあり、関心の高い地震保険のことを 何度かブログでも取り上げました。その後、質問なども沢山頂きました。

 そのブログを読んでかどうかは分かりませんが、損保関係の会社から知人を通じて、実際に被災地に入り、被災建物の損害度合いを鑑定して欲しいとの依頼を頂いていました。

一日でも早く損害を確定し、規定の保険金を出金せしむるお手伝いになればと思い、4月から参加する覚悟でおりました。覚悟とは大袈裟な・・・と思うかもしれませんが、実は1~3ヶ月間は調査のために現地で拘束するとのことだったからです。それだけ被災建物が多いということでした。

損害の確定には、建築構造に詳しい建築士などの鑑定員が、一件ごとに現場に立ちあい、これを詳しく調査していく必要があります。保険金を払うからには、当然のことながら公正をきすという建前からでしょう。
公正はいいとして、本当にそんな通常のやり方で追いつくのかと疑問に思っていました。

そしたら、損保協会から超ウルトラCの発表がありました。

壊滅的な被害を受けた地域は、なんと航空写真や衛星写真で被害前の写真と見比べて、明らかに津波や火災で被害を受けている地域は「全損地域」に認定し、100%保険金を支払うと言うことになったそうです。

さらに、一部損についても契約者の自己申告によって提出された書面や写真で被害状況を審査し、現地調査を省略して一部損を認定することにもなったそうです。

正に画期的です。
損害保険会社がこういう対応を取るのは初めてだそうで、損保会社も最大限に被災者を優先させた対応なのでしょう。
それと、阪神淡路大震災と異なり、被災地があまりに広範囲に渡っており、これを調査していたら、保険金の支払いはいつになるか分からないという事情もあってのことでしょう。
あ~よかった、やれやれと私も胸を撫で下ろしました。

救援物資の次は、生活物資、そしてその次は新たな生活をスタートさせる資金です。一日も早く保険金が払われることを願ってやみません。
  


Posted by バリューの親方 at 16:38

2011年03月30日

こちらも自粛

 被災した地域では地方選挙は延期になったところも多いと聞きます。
山形県議会議員選挙は予定通りに10日投票と決まりました。
こういう状況ですから、選挙どころではないのが本当なのでしょうが、山形はやるのだそうです。

選挙民も、なんかそういう気分にはなれないというのが正直なところではないでしょうか。
実際、先週末に行われた上山市議選の投票率は、60・69%で、前回を7・83ポイントも下回り、1954年の市制施行以来、同市議として過去最低でした。

投票率が低いと言うことは、それだけ選挙民が選挙に関心を示さず、選挙そのものに民意が伝わりにくいと言うことです。そこまでして、選挙をする必要があるのかと思います。
選挙だってお金がかかるんですから・・・。

以前お話したぽん友の森谷仙一郎君も立候補する予定ですが、彼は現職の県議会議員で、今も避難してきた方々への対応に忙しく、新人候補と違って準備などしてる場合ではありません。山形県のマークの入った防災服を着て飛び回っています。

選挙、どうするの?と聞いて見ました。

避難して来られた方々に直に接して、その心中を察すると、本当はこんな時に選挙どころじゃない。でも、選挙を延期しないと言うのであれば、自分は自分のやり方でやると苦悩の胸の内を語りました。

その自分流選挙法を聞いて、ビックリでした。

選挙カーはガソリンを節約したいので、使わず原チャリで市内を廻る。
だいたいにして、市内にも避難してこられた方々が大勢いるのに、選挙カーでガーガー大声でがなり立てるような無神経なことはできない。そのために70万円もの金が税金から使われるなら、もっと復興のために使って欲しい。
そして、立会演説会も来てくれる方々のガソリン節約と会場の灯油の節約、照明の節電のために一切行わず昼間の街頭演説だけにすると言うのです。

そんなんで、大丈夫なの?と重ねて問いましたら、確かに厳しいし、先が読めないけど、そんなもの、被災している人たちに比べれば、何と言うことはないと言い切りました。

はあ~、仙ちゃんは男だね~と感嘆の声に、「ということなんで、よろしく頼むわ・・・」でした。

仙ちゃんらしいな~と思いました。
とは言え、ぽん友が失業するといけないので、4月1日からは「仙ちゃん失業防止隊」で10日間頑張ることになりました。

  


Posted by バリューの親方 at 18:10

2011年03月29日

今、何ができるか

 義援金、救援物資提供、生活物資提供、市内避難場所でのボランティア、節電、節燃料、節電話、ムダ買いをやめる、そして祈り・・・・。
個人ベース、法人ベースと可能なことは沢山あると思います。

朝礼時、今、我々に何ができるのかを考えてみました。
前述の事柄が出てきました。

私たちは住宅を建てています。
でも、工務・設計チームを除いて技術職や技能職ではありません。
よって、残念ながら被災地に駆けつけて仮設住宅を組み上げることはできません。重機のオペレーションもできません。水道や電気の復旧作業もできません。歯がゆいです。

救援物資や生活物資も避難場所によっては平等とは言いがたい現実はあるにせよ、集積場所までは全国から、いや世界中からかなりの量が届いていると聞きました。

募金も各所で行われています。何度も協力しました。
被災地の行政もこれからは「お金」が一番ありがたいとも言っていました。

ただ、義援金への募金は、3年も4年も長続きさせることは難しいと思うのです。
でも、本当にお金が必要になるのは、復興期を迎えるこれからです。復興にかかるお金は10兆とも15兆とも、はたまた見当が付かないなどとも言われています。

早いお話、気の遠くなるようなお金が長い年月必要になります。義援金は言うに及ばず、国債や税金で賄わなければなりません。今の世の中、個人からの徴税を倍にすることは、なかなか考えられません。
有力なのは企業が納付する税金です。これは2倍にも3倍にもなる可能性だけは秘めています。

そうすると、企業が行える被災地への貢献は、2倍、3倍とは言わずとも1円でも多くの税金を納めることだと思うのです。そして従業員に1円でも多くの給与を支払い、これを消費に回してもらうことだと思うのです。

 現状は被災前の悪化した経済状況に輪をかけた状態になりつつあります。それは日本人の相互扶助の精神により自粛ムードが蔓延していることにも原因の一つとも考えられます。

卵が先か鶏が先かではありませんが、なんでも自粛と言わず、元気を出して商いに精進し、経費を切り詰め、より多くの利益を確保し、納税することが、今当社が成すべきことだと結論付けました。

取りも直さず、広く宣伝し、一世帯でも多くアパート住まいからマイホームへの夢を実現して差し上げ、地震にはビクともしない家を設計し、無駄をなくして1日でも早く完成させ、節約して1円でも多くの税金を納める
ということです。

今までと同じ日々の仕事、今目の前にある仕事を2倍も3倍も頑張ってやろうということです。これなら社員全員、今からでも即座にできそうです。

そして今日からのスロイーガン
まいっと稼しぇがんなね! がんばっべ商い! 納税こそが国家再興の礎だべっ!!
そして、一つになろうニッポン!! 一緒にがんばっべ!おらだの東北!!
  


Posted by バリューの親方 at 16:52

2011年03月28日

早熟

 11日の地震から封印していた場所があります。
私の勉強部屋です。本棚から本が散乱し、一旦は片付け始めましたが、その度に余震で元の木阿弥。大きな余震が落ち着くまでそのままにしておこうとドアを締め切り、見て見ぬふりをしていました。

そろそろ大きな余震も収まって来たと言うことで、一冊一冊片付け始めました。
書棚は全部で9台。カテゴリーごとに蔵書を固めて収蔵していましたので、それがどこから落ちてきたかはわかりますが、結局それぞれまたやり直しです。

これがまた、進まないんです。
一冊拾い上げては、あ~、懐かしいこんな本もあったんだと読み入ってしまう。お~、いけないいけないと思ってまた拾う。そしてまた読み入る。

驚いたことに、同じ本が2冊あるのが何冊かありました。それも刷りの版が違っていたので、自分で持っているのを忘れて、何年かして再度買ってしまったものでしょう。同じ箇所にアンダーラインが引かれていたのには、我ながら驚きでした。

恐ろしいことに、某図書館から借りっぱなしになっている本も見つけました。今から返却に行ったら怒られんだろうな・・・。でも、すでにその図書館、新しくなってるしな・・・。
でも、なんで催促されなかったんだろうと不思議に思います。

随分古い本もありました。こりゃ骨董品だな。
その中に、明らかに高校時代に購入した文庫本が混じっていました。本屋のレシートが挟まっていて、その日付からわかりました。

タイトルを見てビックリ!!信じがたい本でした。
「帝国主義・レーニン」、「毛沢東語録」、「共産党宣言 共産主義の原理 マルクス・エンゲルス」、「資本論・カールマルクス」
あちゃー・・・・真っ赤赤ですね。

おかしいな・・・こんな本読むはずがない・・・。でもなぁ、アンダーラインなんかも引いてあるし・・・・。?マークや「質問する」などのメモは確かに自分の字だし・・・。どこで、どう変わったんだろう・・・今の自分・・・。

左から真ん中通り越して、どちらかって言うと明らかに右よりだもんな~・・・。
右も左も、まずは知ろうということで読んだものなのかもしれません。「共産党をたたく12章」とか「ナショナリズム」なんて本も混じっていましたから。
それにしても早熟だったんだな~。

同じ頃買った本に「ゲーテの詩集」「バイロン詩集」「李白詩選」なんてのもあって、多感な少年時代だったんだな~と、自我形勢で成長過程の自分に思いを馳せたのでした・・・。
しかし・・・、まったくはかどらない・・・。ちゃっちゃど手、動がしぇ!!と聞こえてきそうです。  


Posted by バリューの親方 at 11:53

2011年03月27日

便利モノ

 今回の震災の影響で感じたことは、今の世の中、あまりに便利になり過ぎたということでした。

また、不便な頃を知っている昔人?がまだまだ残っていることが幸いでした。昔はこうやったんだ、昔はこうだった。平時にこんな事言うと、回顧主義とか、時代錯誤などとうざったがられるのがオチですが、そんな時代が現実のものとなりました。

携帯が使えない。全ての情報伝達を携帯に頼っていた人は、パニックです。言うに事欠いてこの携帯通信会社は、こんな災害時にちっとも使えない!!と吐き捨てた人・・・居ませんでしたか?挙句の果てに電池切れ・・・。

そこで登場が、公衆電話に携帯・・・ラジオです。今どき公衆電話は探してもなかなかないんです。さらに携帯ラジオなんて、ほとんどありません。オーディオに付いているか車のラジオが関の山ですが、どちらも乾電池では動きません

さらに、暖房は湯たんぽに火鉢、ちょっと贅沢して反射式石油ストーブ、照明はローソクに懐中電灯、風呂はシャワーを使わず被り湯で体を洗い流す、冷凍食品は自然解凍で湯センで暖める、冷蔵は屋外か雪の中、ご飯の後は茶碗にお湯を注いで漬物で洗いながら飲む。お湯はその都度やかんで沸かす、セーターはとっくり、ソックスは2枚履き、通勤は徒歩か自転車、などなど。そして、早めに寝て、明るくなったら起きる

これが当たり前だった時代があったんですよね。それもちょっと前まで。
いつからこんなに便利に、そしてずぼらに、そして手抜きになったんだろう。

でも、また慣れたらすぐ戻るんだろうな。映画やテレビでは昭和30年代を懐かしんでるけど、各家庭で実体験として思い出したんじゃないでしょうか。特に若い世代には、これがsyowa?ってとこでしょうね。

教科書には昔、高度経済成長した「昭和」という時代もありましたなんて紹介されているんですから。

今回は被災して、食べ物も十分届けられないという避難所もあったと聞きますが、被災地には申し訳ないことですが、停電で「ハレの日」用に冷凍していた食材が解凍し始めたのと、スーパーやコンビにが閉店していて食料が変えなかったので、冷蔵・冷凍庫の在庫処分と棚卸を同時にやりました。

不謹慎なお話なのですが、キャンドルの灯し火の中で慎ましやかに食べた夕食は、結果的にいつもより豪勢なメニューになってしまいました。

「こんなの食べてていいのかねぇ・・・」
という懺悔の問いに、「腐らせて捨てるよりは、よっぽどいいでしょ!!食べられない人も居るのよ!ありがたく頂きましょうよ。」でした。妙に納得。

そして、一番時代の流れを感じたのが、ハム
食べるハムではなく、アマチュア無線です。携帯電話がない頃は、唯一身近な無線の通信手段でした。運用するには国家資格が必要です。サバイバルツールに入っていたハンディトランシーバーを取り出し、出力いっぱいに呼び出しチャンネルで呼び出してみました。

「ハローCQ,CQ,CQ。こちらはJM7SSM。ジュリエット・マイク・セブン・シアラ・シアラ・マイク。JM7SSMです。どちらかお聞きのステーションございませんか?」

何度繰り返しても、応答ゼロ。
もう、アマチュア無線なんて、やってる人いないのかなぁ。
確かに、アマチュア無線を扱っていた電気屋は、どこも携帯電話屋に商売替えしてるからなぁ~。無理もない・・・。

さて今日は、宮城県の自宅避難の知人宅へ、個別支援に出かけます。
いずれにしても心配なのは、余震や津波は言うに及ばず、肝心要の燃料との勝負です。
  


Posted by バリューの親方 at 09:54

2011年03月26日

チャリ

 ここんとこ、ずっとチャリを使っています。
もちろん通勤も業務でもです。天童~寒河江間もチャリで仕事に行って来ました。
会社の業務車両は、いざと言うときのために、ガソリン使わないで置いてます。

市役所や銀行など市中心部にも15分もあれば余裕で行けちゃいます。案外近いんですね。と言うかこんな近いところでも平気でガソリン使って車で行ってたんですね。
東京の友達に、コンビニにも車で行くと言ったら、え~っ・・・と絶句されたことがありました。確かにそうですよね。いま、分かりました。

 私の自転車はツール・ド・フランスに使うようなカッチョいいチャリじゃなく、息子が通学で使っていたママチャリのお下がりです。さすがに高校の通学許可鑑札ステッカーは無理やり剥がして乗ってます。

ちょっとハンドルが絞ってあるのが玉に瑕です。そう言えば、昔こんなハンドルの単車乗ってたな~と、手の甲を内側にハの字にしながら懐かしく乗ってます。品行方正な高校生活を送った皆さんには分からないお話かもしれませんね。

 チャリも乗り慣れていないと、お尻の骨がサドルにあたって痛いの何のってないですね。単に運動不足なのでしょうか。よくジムに行くと何十分もサイクルトレーニングしてる人居ますけど、痛くないんですかねぇ。単純にお尻の肉が厚いってこと???

チャリで街を走るとき、車道ではない裏道を走ります。
へ~、こんな道あったんだ・・・から始まり、えっ、これ何の店?、あっりゃ~、すっげえイイ家などなど、きょろきょろ余所見をしながらギコギコ走ります。

これが案外楽しいんです。
あっち見て、こっち見て、マスクしてロングコートなびかせて、何かへんなオヤジに見られてるかもしれませんが・・・。
とにかく街には発見が沢山あります。車でこんなにキョロキョロしてたら、きっと事故りますね。

体重が2キロ減ったというオマケまで付いてきました。
それにしてもお尻が痛い・・・。そして顔と耳が冷たい!!
  


Posted by バリューの親方 at 12:11

2011年03月25日

ちょっとイメージ違った

 家内が婦人会の炊き出しを手伝いに行って来たと聞いたので、自分も何かお手伝いでもできればと、夕食の炊き出しが16時と聞いていたので、ホッペと耳を真っ赤にして自転車で駆けつけました。さぶ~い!!

勢い込んで入ったのは天童市スポーツセンター。婦人部や青年会議所などの面々がテキパキと配給作業をしていました「何かお手伝いしますか~?」の声に「大丈夫で~す。盛り付けだけですから・・・」とのことでした。

 ここで作って振舞うのではなく、給食センターなどで調理済みのものが運ばれてくる仕組みなのだそうです。給食と同じってことですね。
それにしても16時に夕食?病院食より早い・・・。

たぶん主力の婦人会が自宅の夕食の支度もあることなどを考慮してのことなのでしょう。
でも盛り付け配給なら、避難者の自助にお任せして、普通の家庭の夕食時間にしてあげる気配りがあってもいいような気もします。
配給は多めに作って、置いておき、後からも食べれるようにはしてあるとは言ってましたが・・・。

せっかく来たのだから、せめてお話し相手にでもなれればと、被災者の輪の中に入っていきました。避難場所に入るまでは、悲壮感が漂ってるんだろうなと想像し、どうやって話しかけようなどとドキドキしていましたが、思っていたより皆さん和やかで安心しました。

ほとんどが原発避難による福島からの方々だったせいか、荷物もそこそこで、着の身着のままというテレビで目にするような感じではありませんでした。車で来られたらしく、駐車場には福島ナンバーの車がいっぱいです。

「大変だったねぇ。お腹いっぱいになった?こんなに早い夕食で、あとでお腹空かない?大丈夫?」とファミリーの子供さんに話しかけてみました。
「フードセンターたかきとかコンビニで買えるから平気」と袋いっぱいのお菓子やらなにやらを見せてくれました。子供はたくましく、そして正直。

 ご主人に聞けば、ガソリンも詰められたし、温泉にも入りに行った。美術館も沢山あって、とてもいい街だ。オルゴール博物館が見れなかったのが残念、明日は山寺に行ってみると笑顔を見せてくれました。

家を津波で流され、家族と家財を失った宮城や岩手の避難所の方々とはちょっとイメージが違うような気がしたのは私だけでしょうか。

いずれにしても、突然普通の暮らしを奪われ、遠い地で不自由な暮らしをしなければならないことには変わりありません。

天童の地を少しでも気に入っていただき、ここへ定住して就職し、活力ある天童市を共に築いていければ、今ひとつ活気にかける天童市にとっては幸いなことかもしれませんし、空きが目に付く天童の「空室アパート対策」の一助にもなるのではないかと思います。

入り口に設けられた避難者案内所には昼食の余り何だか、コッペパンご自由にどうぞと、ダンボールにいっぱい入っていて、傍らにはマーガリンとジャムも置かれていました。でも、このコッペパン、随分余っているのが印象的でした。

自転車で帰る途中。
ビニール袋にいっぱい、買い物をして帰ってくる親子と何組も会いました。
「あららら、炊き出しの配給、終わっちゃいましたよ・・・」と声掛けすると「ありがとうございます。大丈夫で~す。」と買い物袋をかざして、笑顔が返ってきました。

 山形の落合体育館からは、七日町商店街振興組合で、買い物用のバスを無料運行するとの事でしたし、普段は当たり前にできてる「買い物」だけでも普段通りにできる環境を提供するだけでも、避難してきている方々にとっては、心の和みなのかもしれませんね。

  


Posted by バリューの親方 at 11:58

2011年03月24日

第二警戒態勢

 毎日毎日余震が続いています。
でもこの頃は、あっ、また?震度1?いやいや2ぐらいかな?とか今回は大きいぞ震度3ぐらい?という感じで、慣れてしまいました。本当はこの慣れが一番怖いのですが・・・。
今回の津波もそうでした。慣れは時として取り返しの付かない惨事を巻き起こします

私は今でも、枕元に防災頭巾?と懐中電灯、足元には長靴とロングのベンチコートに手袋を置いて寝ています。もちろん寝るときにはメガネは取りませんし、ソックスは履いたままの状態です。

ただ、11日に物置から玄関に移動させたサバイバルツールコンテナと飲料水は出入りに邪魔になるので、第一警戒態勢を解除して、第二警戒態勢として、物置の一番出しやすい場所に移動させました。

このサバイバルツールは、ボーイスカウトの「備えよ常に!!」をモットーに、小型テントから何から何まで入っていて、ペットと夫婦で1週間程度は自力で生き延びられるよう準備しています。もとい!されてるはずでした・・・。

11日、停電の暗闇の中で、懐中電灯たよりに、備蓄した食料や飲料水をチェックしたら、ほとんど賞味期限が1年以上過ぎてました。電池類も液が漏れてドロドロになってました。
これじゃ、3日ともたないですね。

何事も経験とばかり、賞味期限切れ非常食を食べてみました。薄明かりの中でしたから中味の状態まで詳細チェックするところまでは行きませんでしたが、う~ん・・・食べれないことはないですね。腹もこわさなかったし・・・。
でも、ちょっと妙な味ではありました。サバイバル闇鍋ってところでしょうか。
被災地に比べたら、こんなんでも食べるものがあるだけマシというものでした。

とは言え、卵が先か鶏が先かではありませんが、常備薬も期限切れが多くありましたので、悠長なことは言ってられないのが現実でした。

入れ替えを忘れてしまうほど、長い間危機も起こらなかったということでしょうし、それだけ慣れも大きくなってきていたということなのでしょうね。
現実に使う段になって、賞味期限を確認するなんて、話になりません。
今回を機会に、定期点検を行い、全部入れ替えます。といっても、商品が店先に並んでからということになるのでしょうけど。

でも、こういう時に限って災害は起こるものです。
願わくば第一警戒態勢に戻るようなことだけは、避けたいですね。



テントにシュラフ、ロープ類、救難信号、無線機まで何でもあります・・・。機会あるごとに少しづつ足していったんです。元気を出すためのボーイスカウト歌集まであります。  


Posted by バリューの親方 at 15:32

2011年03月23日

主婦のお望み

 商売の鉄則は、不便を解消して差し上げること。
ことに住宅は、いつも勤めに出て留守のご主人より、奥さんの方が住まいの不満は顕著です。

 私どもも、アパート住まいの奥さんやすでにお建てになり、実際弊社の建物にお住まいの奥様方からっも、ご意見を頂戴しますし、調査会社が行うアンケート調査などのデータも参考にします。

面白いデータがあります。賃貸アパートに住み、これからマイホームを取得したい主婦を対象としたアンケート結果です。
質問は「今の住まいで不満に感じることは何ですか?」(複数回答可)

ダントツは「収納が少ない」で39%、次はキッチンが狭くて使いづらい23%、「使い勝手が悪い間取り」18%が続きます。
え~っ!!ホント??というのではなく、あ~、やっぱり・・・と言った感想でした。
新たな住まいには十分なスペースにかさばる物から小物まで収めてキレイにしたいということなのでしょう。

 注文住宅は、プランナーが施主様の自宅へ伺って、現在お持ちになっている家財道具の量や寸法を測り、これらが収納できるスペースまで設計段階で入れ込んで行きます
ただ、私どものような企画(規格)住宅では、フリープランではなく、ある程度間取りが決まっているので、逆に建物の収納スペースに合わせてもらわなければなりません。

私どももお客さんの家財道具の量や寸法はわかりません。
よって、4人家族の凡その家財道具の量を予測して、収納スペースをできるだけ多く取る様にプランニングしています。

とは言え、私どもの建物は平均して上下合わせても30坪程度ですから、スペース的にほとんど余裕がありません。
普通であれば、単に塞いでしまうところに扉を付けたり、間仕切壁の厚みを利用したりして収納できるスペースを確保しています。

中でも4畳もあるウォークインクロゼットは好評です。
ただ、企画する側からの工夫はここまででした。このウォークインクロゼットの入り口には1m80cmの折り戸が付いているのですが、実際にご入居したお客様からのご意見では、
その入り口が大きいのはいいが、扉の前には一切物が置けないと言うものでした。

確かに・・・。
そこを壁面にして、壁の端っこに、小さなウォークインクロゼットの入り口を付ければ済む問題です。
そうすればその壁面には昔から持っていた家具などを並べて置くことができます。しかもその方が扉代もコストダウンできます。

 さらに小さな家が故に、部屋の2面に窓を付けることができます。
ですから私どものお部屋はすこぶる明るいのです。こちらにもお客様からのご意見。

窓が多い分、冬は暖気が逃げて暖房効率が悪い。夏は直射日光が入り込んで暑い。
極めつけは、窓が大きいと、その窓が持ち込んだ家具を置くと、隠れてしって意味がない。
できれば南側以外の窓は、光だけ入る程度の小さいものにして、上のほうに付けてくれると、家具が置きやすい・・・・。でした。

これも確かに・・・。
家具屋が前身の私どもにとっては、お恥ずかしい限りでした。
家具が一つでも多く売れるように、家具屋自ら住宅建築をしようというハウジング事業を始めた初心を忘れていました・・・。

  


Posted by バリューの親方 at 15:31

2011年03月22日

安心の源

 昨日、半年続いたラジオモンスターの出演番組が最終回を迎えました。
ブログを読んでくださっている皆さんの中にも視聴してくださった方々がおられると思います。ありがとうございました。

さて前回のブログや番組放送後に、地震保険へ沢山ご質問を頂きました。
その中で、多かったものにお答えします。

地震保険は全損で100%の保険金が支払われると言うことですが、もう少し詳しくお話します。
説明不足で誤解を与えてしまったのかもしれませんが、地震保険で「全損」と言うのは、「全倒壊」と言う完全に崩れ落ちてしまっている状況とはちょっと違います。

全損というのは、基礎や柱、梁、壁、土台、屋根等の主要構造部損害額が、建物の現在の評価額(時価)の50%以上になっている。あるいは地震による火災や津波で延べ床面積の70%以上を失った損害の程度を言います。

また、半損とは同様に主要構造部の損害額が建物時価の20%以上50%未満。焼失、流失床面先が述べ床面積の20%以上70%未満の損害の程度のこと。

さらに一部損は主要構造部の損害額が建物時価の3%以上20%未満の損害の程度のことです。

よって、見た目の倒壊状態の大きさで判断されるのではなく、あくまでも被った損害を規定の計算式に代入し、導き出された割合で、保険金の100%、50%、5%などの支払われる割合が異なります。(でも、サーベヤーと呼ばれる鑑定人に実務を聞きましたら、だいたい見ただけでおおよそは判断できると言ってました)

ちなみに、今回津波によって倒壊した家々は、当然「全損」です。
でも、ちゃんと建物は建っていても、損害の状況では全損に認定されることもままあり得ます。

ただ、全損で100%でも、建物の火災保険(建物建築費)の50%しか支払われませんから、住宅ローンが残っていたりすると、その借金も残ってしまい、さらに新築に必要な不足分の資金を借り増ししなければなりません。これは阪神淡路大震災の時にも随分と問題になります。

これまでお話してきた地震保険は火災保険に入っていることが前提条件で引き受けてもらえます。でも、地震保険は、火災保険に入っている世帯の30%弱しか入っていないのだそうです。
残った70%の世帯は万が一地震で家が壊れても、保険金が出ないと言うことになります。

地震保険は、最低限の安心の源です。
是非、まだ地震保険をかけておられない70%の方々に、できるだけ早くかけていただきたいですね。  


Posted by バリューの親方 at 12:52

2011年03月20日

地震と保険

 少しづつではありますが、被災地でも復興の槌音が聞こえ始めました。
2011年度の持ち家着工予測は32万戸前後と言われますが、これに加えて政府は、今後15万棟の仮設住宅を被災地に建築するとのことです。

予算は大丈夫なのかという心配と、一般新築住宅にも資材、建材は行き渡るのかも心配です。
被災地を優先しなければならないのは当然としても、その予算という税金を担う他地域の建築会社が、そこまで耐えて持ちこたえられるかどうかも心配です。

 さて、今回は不幸なことに、町ひとつが壊滅状態となった地区もありましたが、津波で流された住宅の保険はどうなっているのでしょうか。
津波は洪水ではありません。津波は地震によって引き起こされたものですから、通常の火災保険では保険金はでません。

火災保険に加えて任意で地震保険に入っていて初めて保険金が出る仕組みになっています。
今回の地震で被災した家屋には地震保険に入っていれば、保険金が出るでしょうが、あんなに沢山の戸数分を支払って保険会社は潰れないの?と疑問も出ますよね。

この地震保険は、大震災になると保険会社レベルでは支払いきれなくなるので、地震保険については国がバックアップしています。それでも、あくまで地震での損壊を想定していたのでしょうから、今回のような津波で一気に損壊数が激増するなんていうところまでは想定していなかったでしょう。

それでもなるべく広く公平に行き渡るように、地震保険は、火災保険と異なり、建物価格の30%から50%の範囲で掛けるのが普通です。

そして地震や津波の損害により、一部損で保険金額の5%、半損で同50%、全損で100%保険金が支払われます。

よって、津波で流された住宅は、仮に地震保険に入っていても最大で建物価格の半分程度しか支払われないということです。でも、出るだけまだいいほうです。何故ならいくら多額の火災保険に入っていたとしても、地震保険にもプラスして入っていなければ、1円も保険金はもらえないのですから。

 それでは被災者に平等に支払われるものはないのかというお話ですが、実はあります。
「被災者生活再建支援法」に基づき、地震や津波で家が半壊以上の被害を被った場合100万円の補助が国から支給されますし、建て替えた後200万円、補修した場合は100万円、賃貸に入居した場合は50万円がそれぞれ支給されます

今回は、自宅のみならず車も流されていました。
この車の方はどのような保険が下りるのかと言うと、土砂崩れや洪水による水没、流失であれば保険金が支払われますが、いくら任意車両保険をかけていても、津波による水没は不担保となっており、保険金は支払われません。会社によって種類は異なりますが「地震特約」をつけることができると思いますので、保険会社に問い合わせてみるといいと思います。

 こんな時にPRになるのでいやなのですが、私どもでお建てしている住宅には、損害保険会社の地震保健とは別に、安心のプレゼントとして地震保険をお付けしています。
これなら全倒壊あるいは津波で流失したとしても、火災保険にプラスされた地震保険とは別に保険金が支払われますので、合計すればそこそこの保険金が支払われます。

全く同じ新築は難しいかもしれませんが、少しでも持ち出しは少なくなると思います。これが地震保険付き住宅です。

私どもでは他県に建築した建物はありませんが、被災地にも私どもと同様の地震保険付き住宅を建築している工務店が多数あるはずですから、その工務店で建てられた方は、その保険金も合わせて支払われるはずです。

その地震保険は「震災パートナーズ」という会社で引き受けてくれます。火災保険に入っていなくても単体で入れますから、一度検索してみてください。
  


Posted by バリューの親方 at 17:38

2011年03月19日

倒壊

 阪神淡路大震災や信越の震災の記憶から、大地震が来ると家屋が倒壊するというイメージがあります。今回の東日本大震災ではどうだったでしょうか。

街が壊滅的な打撃を受けた被災地は、木造家屋の残骸や瓦礫の山です。
ただし、あの残骸は揺れによる倒壊ではなく、津波に押し流されて倒壊した家屋がほとんどです。

現地へ行ったり、その道すがら家屋を見てきた建築を生業とする知人の弁によれば、津波の被害が及んでいない地区では、倒壊している家屋は、拍子抜けするほど少なかったと言っていました。

全てが新耐震基準を備えた昭和56年6月以降に建てられた建物だからでしょうか?
新興住宅街でもない限り、それはありえません。
でも、震度7や6といった大きな揺れがあったはずです。

確かに昭和56年6月以降に建築された建物は、最低でも震度6程度では全倒壊しない耐震強度が備わっていることになっていますし、設計段階でその強度を満たしていないのであれば、建築すらOKになりません。

 この建築基準法で定められた最低基準を満たした住宅を耐震等級1とし、その1.25倍の耐震強度を備えたものを等級2、そして1.5倍の強度を備えたものを等級3としています。等級1でも震度6程度では全倒壊しない強度と計算上では認められています。あくまで計算上です。

 今回はマグニチュード9ということでしたが、このマグニチュードと耐震基準はリンクしているようでリンクしてないように思います。
なぜならマグニチュードは地震の持つエネルギーの大きさであって、それは震源から遠ざかれば、小さくなります。よって、その建物が建っているところへ及ぼす揺れを関連付けるのは、あくまでもその時の震度だと思うのです。

ただ、この揺れは1次元ではなく3次元で、しかもその揺れの振幅も毎回違います。
木造住宅の倒壊しやすい揺れの振幅周期は1~2秒だと言われます。

今回の筑波大学の地震波分析によれば、この1~2秒周期の地震波は、阪神淡路大震災時の2~3割り程度で、今回の地震の周期は1秒以下の地震波がほとんどだったと報告がなされました。
つま強く小刻みに揺り動かされたということなのでしょう。

これは、設置面積の少ない室内の物は大きく揺れるが、建物には影響が少ないと言うものだそうです。
倒壊しなかったのは、地震波が小刻みで、不幸中の幸いと言えると思います。だからと言って、次の震度6や7で倒壊しないという安心は禁物ということです。

昭和56年6月以前に完成した建物は、耐震の補強リフォームをし、現在の耐震基準をクリアでき得るようにすることが、急務であると思います。
こういう補強リフォームには今後、国も積極的補助金などを出し、強力に推進するものと思われます。


  


Posted by バリューの親方 at 01:15

2011年03月18日

皮肉な活気

 旧帝国海軍舞鶴鎮守府神山練習飛行場、その後、神町飛行場、そして山形空港と時代によって呼び名が変わりました。私などは神町飛行場、神町空港と言ったほうが馴染みが深く、小さいながらも都会文化の表玄関的な存在でした。

その山形空港も山形新幹線開業などの影響から、乗降客も減少、減便やその他の地方都市への廃便などが相次ぎ、風前の灯といった状況です。東根市長も吉村県知事もJALには随分と嘆願しましたが、叶いませんでした。そりゃそうです。JALだって、風前の灯なんですから。

 その山形空港が、にわかに活気付き始めました。減便、廃便ではなく増便に次ぐ増便です。
これは仙台空港が使用不能状態に陥り、近隣空港を代替利用しようということで次から次へと離発着しているからです。
これに加えて救援のために飛来しているヘリコプターの中継基地としても利用されています。

予期し得なかった隣県の震災の影響で、活気を取り戻してしまうと言うのも皮肉な話
です。

もう一つ、注目すべきことがあります。
今回約55年ぶりにオフィシャルに里帰りしたと思われる飛行機がありました。米軍輸送機です。

 山形空港は元々旧海軍の練習飛行場でしたが、戦後間もない昭和20年9月19日に進駐してきた第8軍11師空挺連隊によって接収され、米軍の飛行場として11年間使用されていたと言います。
その後、陸上自衛隊第六師団第六飛行隊と民間の山形空港がシェアして利用しています。

 今ややまがた新幹線ができ、隣のさくらんぼ東根駅の方が有名ですが、何を隠そう空港直近の神町駅は、米軍によって改築された、無骨ながらアメリカンモダン漂う駅舎なんです。

駅名表示は英文で、「神町駅」という漢字表示は、サブのように小さく記されています。
表示されている駅名は、JIMMACHI STATIONです。JINMACHIでないところが英語っぽいですね。

今は無人駅になったと聞いていますが、吹き抜け2階窓から光降り注ぐホールには、降り立ったGI達の息遣いが感じられるような雰囲気だったのを覚えています。

 回顧はこれぐらいにして、山形県でも被災した方々の受け入れが始まりました。
一時のブームで箱物を大量に建築し、今やその存在価値が疑問視されるような公共施設が沢山あります。こういう時にこそ、有効に活用して欲しいものです。

そして、こちらから被災地に出向かなくても、先方からおいでいただいているのなら、地元を挙げて精一杯お役に立ちたいものです。
  


Posted by バリューの親方 at 13:52

2011年03月17日

休業

 車の燃料タンクも底をつき始めました。
事務所はガスでの集中暖房だけど、ガスも残りが少なく暖房は停止。
さらに、停電になるかどうかハラハラドキドキ。

結局、今日と明日は休業としました。
社員がわざわざ出勤すればガソリンを使う。そうするとまたスタンドに並び、少しばかりの配給を受ける。そんなガソリンがあるなら、1Lでも多く被災地へ回してあげたい。今してあげれことは、そのぐらいが精一杯です。

お金を頂いて、請け負っておきながら、大変申し訳ないことですが、今回だけは、お客さんより被災地優先です。

突然休業にしましたので、お客さんや取引先からの電話があるかもしれないと言うことで、私だけは出社して、毛布をかぶって電話番。暖房のない事務所があんなに寒いとは思いませんでした。

妙なことに電話1本鳴らない一日でした。
どこもかしこも休業のようです。
社員には、やり残した仕事は支障なきよう携帯やメールを使って家で対応して欲しい旨を伝達してあります。

彼らは、出勤せずとも全てのミッションをこなしたが故に、会社には一本の電話すら掛かってこなかったのかもしれません。それはそれで業務遂行としては素晴らしいことなのですが、逆に考えると会社に来なくても、それぞれの仕事がこなせるということなのかもしれません。

もしそうなら、高い事務所経費をかけて運営することそのものが、あまり意味の無いことということにもなりますし、無駄が多いと言うことにもなります。

たまたま、今回は震災の影響と言うことで、このような変則的な運営をせざる得ない結果となりましたが、普段当たり前に、何の疑問もなく、ただただ漫然と運営してきたことを省みるいい機会だった気がします。

時として、不便と言う負荷をかけ、組織がどのように対応していくかを検証するのは、新たな運営形態を策定するにはよい試みのような気がしました。

取引先からは沢山の「先行き不確定」告知FAXが届いています。
私どもの仕事は、建材や設備の仕入れあっての仕事です。何一つ自社で製造することはできません。よって相手側に合わせざる得ません。でも、お客さんは一日も早い完成を家賃を払い続けながら待っています。

苦中楽あり、死中活ありの精神で乗り切りたいと思います。
  


Posted by バリューの親方 at 22:56

2011年03月16日

AC

 これを見てAir Canadaの航空会社コードとイメージした方は旅行に詳しい方ですね。
Advertising Council JAPANってご存知ですか?略してACジャパン。この頃テレビCMを独占しているACです。

 このAC、ちょっと前までは、公共広告機構と名乗ってました。1971年にサントリーの佐治敬三氏らが発起人となって設立されたCMを利益追求の道具にばかり使うのではなく、公共へも役立てようと設立された経済産業省所管の特例社団法人です。

全国版のCMを放映している大手企業を始め、広告代理店や放送局が加入しています。その数は全国1300社の正会員と言われます。
これだけ大手の企業が集まっていますから、制作費用は潤沢にあると聞きます。企業色のない、いわゆる社会派CMを流しています。ある意味で名作揃いです。

起用された俳優や使われたコマソンなどは有名どころばかりです。
このACのCMは、公共性が高いので、電波料と言われる媒体費は無料だそうです。
放送局が一般の企業CMの替わりにはめ込みますいや、はめ込めます
紙媒体で言うところの「あて原稿」で、空いたスペースを調整する予備素材です。

 今回の震災で、特別番組が組まれ、通常の番組が放送延期か中止されました。その番組には当然スポンサーがついており、そのCMを流すはずでしたが、それが延期や中止になれば、当然そのスポンサーCMもお流れということになります。

その突然空いたCM枠を埋められるのは、公共性の高いACのCMか「番宣」と言われる自局の番組宣伝などです。このため、どこの局を見てもACのCMが多いと言うわけです。

 また、こういう時ですから、物を売り込んでいくCMを自粛、あるいは自社取引先や自社の社員が被災しているので自粛ということもあるでしょうし、企業のCM担当者が視聴者からの批判が怖くて保身のためというのもあるでしょう。こうして企業がCMをキャンセルした穴を埋めている部分もACのCMがカバーしています

さすがに全国ブランドのCMはまだまだですが、昨日あたりから、地元企業のCMは流れ始めました。
少しづつ本来の番組枠が確保できてきたのか、それでもCMを流したいと言うスポンサーが出てきたのか・・・。

ローカル局は限りなく県内しか流れません。被災地の方々をケアするのは当然として、ここぞという質の高いCMを作り、タイムリーに放映できたら、停滞し始めた山形の商売や企業イメージのアップ、あるいは被災地救済メッセージも伝えることができるのにと思います。

CMは販売促進のツールであると同時に、社会へ向けた「15秒の情報の塊」でもあります。
こんな時こそ、私どもを始め、地元の広告代理店がその実力を発揮できなければなりませんね。
  


Posted by バリューの親方 at 15:16

2011年03月15日

いよいよ

 昨日は、東京電力の計画停電で、首都圏は大混乱でした。やるのやらないの、そしてやっぱりやらない。停電ぐらいならみんな仕方がないと我慢もするけど、それがその場その場で対応が違うのでは、みんな混乱します。原因はイラ管総理の焦りの決断にあるといったところでしょう。

そして、いよいよ東北電力でも明日から計画停電を実施することになりました。天童は17:00~20:00だそうです。
最初は3日間限定だそうですが、なかなかそうも行きますまい。
奥様方は夕食の準備時にあたり、大変でしょう。

 私どもも建築現場は、どのみち17:00なら終了でしょうが、事務所のスタッフが大変です。私どもの就業時間終了は18:30です。帰社後の事務処理時間は真っ暗ということになります。早出したところで、相手があっての仕事がほとんどです。こんな短時間の仕事のために、遠くから貴重なガソリンを使って通勤するのも考えものです。

他社ではこの際、休業にするとも言っていました。よくよく考えねばなりませんね。ましてやガソリンが乏しく外回りもできないのが現状です。仕事もできないのに会社にいるのでは、経費の無駄使いです。

仕入先も休業などの通知が相次ぎます。
その中に凄いのがありました。いよいよここまで来たかというものでした。
それは、原発の爆発事故で東京にも放射性物質が降り注ぐ恐れが出てきたので、社員の安全を第一に考え休業しますというものでした。

風見鶏ではありませんが、風向きによっては山形だって当然同様の状況が予測されます
本当のところは、どうなのか政府の発表も保安委の発表も電力会社の発表も、さらにはニュースの解説の専門家も、専門用語ばかり使って、安全なんだか危険なんだかよくわかりません

視聴者は、原発の発電構造や核の発熱理論なんて興味ありません。結論を先に言って、能書きは後回しにしてもらいたいものです。

この状況ではラッキーにしてガソリンを詰めることができても、放射性物質を心配しなければならず、結局外回りはできないということです。被災地には何としても協力したい。でも、隣県を憂える前に、自社が持つかどうかと言うところが沢山出てきそうです。
私どももそうですが、世の中の会社はあと二週間もすると決算です。なんだか、いや~な予感がしてきました。


  


Posted by バリューの親方 at 19:35

2011年03月14日

停滞

 震災以来、今日から本格的な実可動です。
朝から次々と取引先に電話しました。
相手側も対応に追われているようでした。

まずは住宅事業の建材
山形で使う建材の多くは宮城県の各社に集積されています。
津波に倉庫ごと流されたとか、道が寸断されていて搬出できない。あるいは材料が来ないので加工できない、担当者や会社そのものの安否が不明等々。

結局、建築資材が現場に届かないのです。
もっと凄いのは、現物はあるが、燃料が片道分しかなくて、配達したら戻れないというのまでありました。
さらに、水道や電気の職人が、仙台方面に緊急動員令がかかり、現場にこれないといった事も起きました。

 住宅の建築現場は、大工だけが手持ちぶさたで、開店休業状態です。
施主さんにも事情を説明し、ご理解いただくしかありません。
今は非常事態。商売のことばかりは言ってられません。
必要な資材は優先的に被災地へ回す。動かなくていい車両や建設重機の燃料は緊急車両や支援車両に回すことが先
です。

 さらに広告事業では、印刷所にチラシの紙が入荷しません
ガソリンがなくて新聞配達がバイクではなく、徒歩や自転車になるため、時間的にと物理的にチラシを折り込めるかどうか微妙です。
テレビCMは、自主規制でセールやイベントの派手なCMは流せません
まもなく始まる県議会議員選挙のポスター用紙ですら危なくなってきています。

今回の震災は、多くの人命や資産を奪っただけでなく、ありとあらゆる方面へ、文字通り津波のように伝播し、底知れない降下スパイラルの影を忍ばせているようです。

明日からは私も車はやめて、自転車を活用することにしました。徒歩では非効率ですが、自転車ならスイスイですし、体にもいい。

今日は節電のため、1時間早く店を閉めて帰ってきました。
車は会社に置きっぱで、しかも乗り合いです。
あまりにも早い帰宅に、家内からは「えっ、どうしたの?何かあったの?」と言われてしまいましたが・・・。


  


Posted by バリューの親方 at 19:33

2011年03月13日

未曾有

 めったに使う言葉ではありませんが、この言葉をもってしても表せない事態が隣県で起こっています。
まだまだ救助を待っておられる方々が大勢います。

11日午後から電気が止まり、頼りの携帯電話はずっと圏外で、暗闇の中、余震の度に生きた心地がしませんでした。乾電池式ラジオボースカウト訓練のありがたさを知りました。

また、信号が止まってしまっても、譲り合い、きちっと交通ルールを守り、慌てずに店でもちゃんと列を形成して順番を待ち、他人を自分の事のことのように心配し声をかけ、誠に持って誇り高き日本人の民族性を再認識した気がします。普通であれば、我先にとパニックになり、大混乱になってもおかしくない状況です。

 私どももオール電化住宅や省エネ電化製品推奨していましたが、こうなってしまうと、にっちもさっちもいきません。便利の裏返しは、命にかかわるということがよく分かりました。
ある意味で、便利に慣れた私たちは、ひ弱になってしまいましたね。

現在私どもでお建てしている住宅は、新耐震基準をクリアし、2×4工法やパネル工法をはじめ、在来工法でもかなりの耐震性能を有した家にしています。

 とはいえ、躯体へのダメージなどが心配だったので、お建ていただいたお客様へは、今朝よりご連絡し、状況把握を進行中です。電話もなかなか繋がらず、やきもきしています。
お陰さまで、みなご家族も元気で、お家も目立ったダメージはなかったとご回答いただいています。躯体より、停電復活後の設備再設定方法の方が多くありました。

まだまだ余震が続き、気を抜くことはできそうにありません。
もし、このブログをお読みの方で、お家が昭和56年6月以前に建った家にお住まいであれば、耐震構造が現在の基準より低い可能性があります。

これまでの事例を見ると倒壊家屋は、一階が倒壊し、ニ階はその上に乗るような形で残る事が多くあります。
阪神淡路大震災でも二階建ての一階での圧死が多く報告されていました。
就寝されるときには、なるべく二階の方が安全度が高いですし、タンスや書棚の倒れる方向を計算して寝る場所を決めるといいと思います。

56年6月より後に建築開始された家にお住まいなのであれば、今回程度の地震では倒壊しない耐震構造が備わっていると思われます。特に総二階の家ならなおさらです。
津波の心配はないのであれば、下手に外へ避難するより、机の下などに避難して家屋内の落下物に気をつけたほうが得策だと思います。

私どもでお建て頂いたお客様であろうとなかろうと、私どもでできることであれば、全面的にご支援、ご協力いたします。こういう時です、遠慮はいりませんから、電話でもメールでもどんどんください

末筆ながら、被災された皆様には心よりのお見舞いと、亡くなられた皆様には心よりご冥福をお祈りいたします。

さあ、気を取り直して今できることに全力を尽くしましょうよ。  


Posted by バリューの親方 at 14:32

2011年03月11日

律儀なビジネスマン

今日日の若いビジネスマンは、挨拶も満足にできないとか、名刺の受け渡しもなっとらん!!宴席での立ち振る舞いなど目も当てられない等々、ビジネスマンの先輩であるオヤジ次世代からは酷評が常です。 

確かに、場面場面では、信じがたい光景は目にします。でも、それは流行の「仲良し上司」をいいことに、先輩たちが遠慮して教えてこなかったのに問題はあります。

でも、そういう若い輩もまだまだ捨てたもんじゃないなと感じることがあります。
私どもで家をお建てになる施主様、施主様といってもお若い20代後半から30代前半です。その方々が、親と一緒に住むための家を自分たちが建てるという方も多いのです。
親孝行じゃありませんか。

パラサイトなどと揶揄され、同世代の親元での同居率が56%という信じがたい現代です。
そこへもってきて、自分たちが親と同居するための家を建てるなんて・・・。浪花節ではありませんが、こういうお客様にはトコトン何とかしてあげたくなってしまいます。

さて、その若いビジネスマンのお話でした。
私は出張でよくJR東日本やJR東海の新幹線を利用します。ビジネスライナーと言われるぐらいビジネスマンが出張で乗り降りします。

そこで、ある共通する行動を見かけます。
到着近くなると、車内アナウスが流れ、降車客はそさくさと降りる準備をし、デッキへと向かうわけですが、そこでコートを着て、バッグを持って席を立ち去る前に、リクライニングの背もたれを元の場所に戻していくんです。
準備のいい客は、立ち上がる前に背もたれを元の位置に戻したりもします。

そして、やおら飲み食いしたゴミを持参してデッキへ向かうんです。
それも、年配のビジネスマンより、若いビジネスマンたちが決まってこの行動をとる傾向が多くあります。もちろん傾向で、全員ではありませんが・・・。

お恥ずかしい話、私は両方できていませんでした。
ゴミは、昔ながらに袋に入れて、座席の下へ置いておくのが未だに列車のマナーだと思ってました。
今はこの若いビジネスマンたちを真似して、一人前のビジネスマンのように律儀にそしてスマートに乗車しています。


  


Posted by バリューの親方 at 04:00

2011年03月10日

中流

高度経済成長 に伴って、日本は貧しさから抜け出し、みんな中流になったはずでした。
その昭和の遺産は、とうに使い切ってしまったようです。

 総務省や三菱総研の調査から驚くべき実態が炙り出されました。
私どもの主力ターゲット層である35歳の世帯年収です。
世帯年収400万円未満が30%です。おおよそ3人に一人が400万円未満と言うことになります。

 また、別のデータでは世帯年収200万円~400万円の世帯がここ10年間で1.5倍に増えていると言うデータもあります。
さらに、その下の年代である25歳~29歳のターゲット予備軍は、10年前の同世代より年収で100万~200万円ダウンしています。

世帯年収600万円~1500万円という層を流と言うのだそうですが、ここ10年で20%も減っているそうです。
日本が誇った中流は今や風前の灯です。35歳の世帯年収500万円未満が47%にもなっています。一昔前には考えられなかったことです。
勢い、学生さんへの仕送りも私が学生だった時分と同額になっていると言うのも頷けます。

 原因は、企業の賃金カットが大きいと思いますが、これはデフレを誘引します。デフレは不況の降下スパイラルを引き起こします。続けば出口が見えなくなります。

ましてや私ども住宅産業にはメガトン級の大きな打撃を与えます。
現状でも価格競争が激化しています。これまで高い価格設定をして、暴利を貪っていた大手ハウスメーカーは利益を吐き出せばいいでしょうが、私どものようなハイスペック・ロープライッスの住宅屋には死活問題ともなりかねません。

ただ、考えようによっては私どもの主力ターゲットの客層が大幅に増えたとも言えます
仮に年収350万円だとすれば、安全度を考えて住宅ローンは2000万円~2200万円ぐらいが適度なところでしょうから、ギリギリで山形市内でも土地付き一戸建てがゲットできます。
しかも、安い金利の住宅ローンを使えば、頭金ゼロ、ボーナス払いゼロでも月々65,000円程度の返済で済みます。

 いろいろなデータを重ね合わせると、たぶん私どもの主力ターゲットである25歳~35歳までのネオ中流と言われるボリュームゾーンの世帯年収は、300万円~400万円台前半であろうと予測されます。

 このお客様の層を満足させうる建物と土地情報を提供できるとすれば、私どもと山形のクリエイトレモン社、そして庄内のカスタムエージェント社ぐらいでしょう。とは言え、、一番の弱小で後発は・・・・私どもです。
ガリバーに挑むコビトのようなものですが、両社は目標とする会社にとって不足はありません。なんか、俄然ファイトが沸いてきたぞ~~!!





  


Posted by バリューの親方 at 16:19