2012年06月08日
お花
お華と書くのが正しいのかもしれません。「いけばな」のことです。
私の母親も華道のお師匠さんですし、非常に身近なものに感じています。
華道は女性のたしなみとばかり思っていましたが、華展には、女性ばかりか男性の出展もいくつか見られます。家元が男性と言うのも珍しくありません。
でも、どうしても華道イコール女性というイメージが強くあるのは私だけではないのではないでしょうか。
華道とともに女性の習い事のイメージが強い茶道ですが、こちらは私の先輩も習っているということでしたし、もともと武士のたしなみとされていたことからも、なんとなく男性も・・・というイメージは出来ます。
でもお華は・・・。たぶん花という扱う対象のイメージが女性のイメージとオーバーラップしているからかもしれません。
ところが、先日面白いことを知りました。
この「いけばな」、そもそもが戦国武将のたしなみの一つだったと言うのです。
お茶もそうだったように、付き合いの多い戦国武将の文化的教養の一つだったのだそうです。
お茶をたてると言いますが、お花もたてると言いますし、これを評価しあうと言うのも共通です。また、自分の文化的精神の高さを示す権威付けであったのかもしれませんね。
いずれにしても日本の武将は、生死をかけて戦うのが仕事とは言え、荒くれ者の殺人者と言うわけではありません。日本人の美観は「死にかた」にも独自の美観を有し、「有終の美」ここそ最大の美を求めました。
死に美を与えるのですから、文化的精神の高揚があるとないのでは、大違いです。
戦国武将がその心の内を言葉を使わず表現できたのは、直接的な絵画ではなく、抽象的な「いけばな」だったというのも侍らしいですね。
私どもも住宅と言う器を作っています。これは人が最も長く過ごすであろう器でもあります。
その器に、デザインや機能のような表面上だけでなく、日本人としての精神的美観をどこまでつぎ込まれているか、反省すること毎日です。これは原価が高いとか価格が安いとかのレベルの話ではないと思います。
どこにでもある地場の建築屋ではなく、そういう「住まい屋」を目指したいです。それには、お華やお茶にも増して日々の精神修養が必要ですね。
私の母親も華道のお師匠さんですし、非常に身近なものに感じています。
華道は女性のたしなみとばかり思っていましたが、華展には、女性ばかりか男性の出展もいくつか見られます。家元が男性と言うのも珍しくありません。
でも、どうしても華道イコール女性というイメージが強くあるのは私だけではないのではないでしょうか。
華道とともに女性の習い事のイメージが強い茶道ですが、こちらは私の先輩も習っているということでしたし、もともと武士のたしなみとされていたことからも、なんとなく男性も・・・というイメージは出来ます。
でもお華は・・・。たぶん花という扱う対象のイメージが女性のイメージとオーバーラップしているからかもしれません。
ところが、先日面白いことを知りました。
この「いけばな」、そもそもが戦国武将のたしなみの一つだったと言うのです。
お茶もそうだったように、付き合いの多い戦国武将の文化的教養の一つだったのだそうです。
お茶をたてると言いますが、お花もたてると言いますし、これを評価しあうと言うのも共通です。また、自分の文化的精神の高さを示す権威付けであったのかもしれませんね。
いずれにしても日本の武将は、生死をかけて戦うのが仕事とは言え、荒くれ者の殺人者と言うわけではありません。日本人の美観は「死にかた」にも独自の美観を有し、「有終の美」ここそ最大の美を求めました。
死に美を与えるのですから、文化的精神の高揚があるとないのでは、大違いです。
戦国武将がその心の内を言葉を使わず表現できたのは、直接的な絵画ではなく、抽象的な「いけばな」だったというのも侍らしいですね。
私どもも住宅と言う器を作っています。これは人が最も長く過ごすであろう器でもあります。
その器に、デザインや機能のような表面上だけでなく、日本人としての精神的美観をどこまでつぎ込まれているか、反省すること毎日です。これは原価が高いとか価格が安いとかのレベルの話ではないと思います。
どこにでもある地場の建築屋ではなく、そういう「住まい屋」を目指したいです。それには、お華やお茶にも増して日々の精神修養が必要ですね。
Posted by バリューの親方 at
08:01