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プロフィール
バリューの親方
バリューの親方
私は天童に住んでいますが、出身は酒田です。
で、どんなオヤジだかと言うと・・・・
こんなオヤジなんです。詳しくは、http://www.value-c.jp/outline.html

2011年12月20日

出会い

 人生最も大きな出会いは、家内との出会いであることは疑う余地はありませんが、私にはもうひとつの大きな出会いがあります。

それはヨットとの出会いです。
私は小学生の頃に、港町の酒田で育ちました。
土曜日の放課後や日曜の早朝に港へ船を見に行くのが大好きでした。いつかは船乗りになろうと、ボーイスカウトではなく海洋少年団にも入っていました。

父親の転勤で中学時代の半分は、新潟で過ごしました。鳥屋野潟に程近い紫竹と言うところです。
ここで週末は、貸しボートを借りて、鳥屋野潟に注ぐ栗ノ木川をどんどん遡上して行き、水上の遊びの危険と楽しさを知りました。

 そのいつもボート遊びをしていた親友のお父さんが、そんなに船が好きなら今自作しているY15に乗せてやると、進水式当日に乗せてもらいました。これがヨットとの出会いです。
当時は、鳥屋野潟にも、ウッドのディンギーが置かれていたように記憶しています。

そのお父さんから、舵誌オーシャンライフ誌というマリン系雑誌を借りてきては、読みふけりました。
その後、山形へ転校になり、海とは全く隔たる生活をしていました。

 そして、高校3年の春の週末のことでした。
東京に憧れて、一人で東京ミニ周遊券を学割で購入し、夜行列車で上京しました。
上野駅に早朝に着いて、どこも空いていないので、周遊券が使えるぎりぎりの所まで行ってみようと、あてもなく行き着いたのが、神奈川県の逗子という駅でした。駅を出て、どんどん歩いていくと、やがて海岸に出ました。

あ~!!海だ!海だ!と独り言を言いながら、砂浜に腰を下ろし、駅で買ったパンと牛乳片手に、春の陽にキラキラ輝く海を眺めていました。

その海面の彼方へ、純白のセールを張ったディンギー群が、コックリ、コックリとピッチングしながら出艇して来ました。
今考えれば、あれは葉山の浜から関東インカレ六大学戦へ出艇してきた各校のディンギーだったのでしょう。

その朝の光景が忘れられず、入学と同時にヨット部へ入りました。
これが二度目のヨットとの出会いでした。
ただし、そこが同好会やサークルではなく、泣く子も黙る「体育会」系の「校旗を頂く」本チャンのヨット部だと、しばらく経ってから知りました。

それからは、一にヨット、二にバイト、三、四がなくて五に学校いや五に試験の学生生活でした。
でも、お陰で一生の趣味と仲間を手に入れることが出来ました。



Posted by バリューの親方 at 06:05