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バリューの親方
バリューの親方
私は天童に住んでいますが、出身は酒田です。
で、どんなオヤジだかと言うと・・・・
こんなオヤジなんです。詳しくは、http://www.value-c.jp/outline.html

2011年07月12日

震災、その後

 すでに、あの忌まわしい日から4ヶ月が経ちました。
地震保険の鑑定人として、福島や宮城を回っていた頃からもすでに3ヶ月が過ぎようとしています。

あの街はいったい、どこまで復興したのだろうと、気にかかり、日曜日に行って見ました。
今は交通規制もなく、ほとんどの被災地に行くことができます。
行き会う警察車両や消防、自衛隊の車両もめっきり少なくなったように感じました。

逆に観光客のような方々や、大型バスも頻繁に目にします。なんと被災地で交通渋滞まで発生する始末です。

 まずは、仙台空港近辺へ行って見ました。
よく出張の折、車を預けていた駐車場や集落は跡かたもなく、砂の平原となっていました。と言うよりは、綺麗に片付けられていたと言った方が正しいかもしれません。
これは、引き波ではなく、明らかに人の手が入ってだと思います。

あの濁流のような津波でも松林がまだ残っているのが不思議でした。
被災した老健施設の傾き加減を見ていると、傾きが一定しません。あまりの暑さにめまいが・・・・。と思いきやなんと久々の余震です。

車に戻りラジオを聴くと「津波の危険があるので、海岸から離れ、高台に避難してください。」なんと到達予想時間は30分後、津波の高さは50センチとのこと。

50センチとは言え、海底が浅くなれば一気に高さを増す可能性もあり、一目散に津波から人々を守った実績のある東部道路へ。我ながらその慌てぶりは、お恥ずかしい限りでした。

そして、石巻、女川へ。
石巻は相変わらず腐敗した魚の臭いが充満し、今はハエの大群がフロントガラスに飛んできます。でも、どっから手をつければ良いのかと見ていた数ヶ月前に比べ、綺麗に瓦礫が片付けられていました。本当に平原と言った感じです。

片付けられた瓦礫はと言えば、数箇所に集積され、どうやって積み上げたんだろうと思うぐらい、もの凄い高さになっていました。
宮城県が一番片付かないと言われている割には、随分と片付いてる感がしました。

女川は、クライアントの「ホテル華夕美」さんがあり、オープン当初、30分番組を制作した街でもあり、ロケハンして隅々まで知っています。

その街も谷間の平原になっていました。ことに何度となく撮影に赴いたマリンパル女川も無残な姿を曝していました。

自然の豹変は恐ろしい。でも、その自然は自然として脈々と営みを続けていました。
花や魚、そして鳥たちも何もなかったかのように被災地で暮らしていました。
人間も自然の一員ではあるけれど「心」がある分だけ、そうそう簡単には行かないのかもしれませんね。


何の花か分かりません。鮮やかな真紅の花をつけていました。よくこの塩分の多い地面に咲いたものです。回りの家は一軒残らずありません。


岸壁近くには、いつ生まれたのか、稚魚の群れが泳いでいました。


空だけはあの人同じ抜けるような青空でした。カモメも何もなかったように休んでいます。後ろは、津波に一番最初に襲われながらも、何とか躯体を保ったマリンパル女川。キャラクターのひょうきんなカモメが、逆に哀れです。



Posted by バリューの親方 at 15:54